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大学受験は神ごと~生きる上で理解しておきたい考え方~

人事を尽くして天命を待つ
【読み】 じんじをつくしててんめいをまつ
【意味】 人事を尽くして天命を待つとは、人間の能力でできる限りのことをしたら、あとは焦らずに、その結果は天の意思に任せるということ

<故事ことわざ辞典>

 

4月末なこの時期に、こんな記事を書いておりますけれども。私の人生の中でも特に思い出がいっぱいつまっているのがこの大学入試なんです。ええ、そうですとも。人生の転換期と言っても過言ではないほど、いろいろな事がありました。

ざっくり話しますけれども、お勉強苦手な人間でしたので、受験勉強を始めた高2の時の模試の偏差値が約40(多めに言ってます)、そこからすったもんだありましたけれども、どっこいしょどっこいしょと、勉強をしまくりまして、現役で志望校に受からなかったため、一年間浪人しましてね。浪人生としてむかえた大学入試(2回目)時の偏差値がだいたい70くらいです。

言っては何ですが、予備校の一番下のクラスから、私大トップレベルのクラスまで、地道に全部受けましたからね。「え、入れる大学ある?」レベルから、「私大トップクラスへ入れるかも」レベルまでコツコツ勉強してしまったんですなあ。

ま、それはさておき、

実名で出しますけれども、当時、早稲田大学の国際教養学部が第一志望でございました。英語で勉強がしたい!留学行きたいんじゃい!という気持ちで、超長文な読解問題、英作文、リスニング問題と、言い過ぎではないくらい対策もガッチガチに固めまして、模試では毎回A判定やB判定を取れるほど安定して「合格圏」レベルをキープしてました。

本人としては、8割合格の自信!

だったのに!

試験日当日、3教科受験で、最後が英語の科目でしてね。なんと、わたし、英語があと10分で始まるぞのタイミングで、人生で初めて過呼吸になりました。

開始時間には呼吸を何とか戻したものの、汗がすごいは、頭がふらふらするわで、とても動揺してしまい、全然解けず。自分でも「だめだ、だめだ、落ちた」と思いつつも、それでも諦めたくなくって最後まで解こうとした記憶があります。

帰り道は、ショック過ぎて頭の中で鐘が「ごおおおおん」となり続けるわ、涙は止まらないわで、本当にひどい状態でした。信じられなかったんですよね。「受かる」「この数年の全てを勉強にささげた時間がついに報われる」と思っていたのに、あんなタイミングで過呼吸になるとは。全く、想像すらできなかったですよね。

国際教養学部の2日後に、同大学の第一文学部の入試がありました。こちらは、ちょっと自信がなかったんです。過去問を解いても、合格点に達したことがなく、模試の判定も、うん、っていうものばかりでしたしね。自分としては、少々楽観的に考えてみても、せいぜい五分五分だと思っていた学部でした。だったんですが。ね。

国際教養学部での事件があり、私の気持ちに大きな変化が起きたんです。

それまでは「受かって見せるぜ!!」という前向きな(?)気持ちで受験を受けていたんですが、あの事件のせいで、とても悔しい気持ちでいっぱいだったんです。落ちたことが悔しかったのではなく、自分の実力を出せなかったことが、とてもとても悔しかったんです。

実力を出して落ちるんなら、受け入れられたのにって思ったんですよね。

なので、文学部の試験の日のモチベーションは「合格する」ことではなく、「自分の実力を発揮する」ことでした。「自分の頭で、一生懸命考えて、解くことができれば、それでいい」と思っていました。

もともと、あまり合格が見込める学部ではないこともありましたしね。そういう意味でも気負いはなかったように感じます。そのおかげか、当日は緊張も特になく、落ち着いた気持ちでいられたように思います。そして入試が始まってみてば、不思議なことに、各科目、私の好きな(得意な)範囲の出題があったり、ちょっとしたラッキーがいっぱいあったんですよね。

で。

でで。

文学部、合格しました。

ええー!!( ゚Д゚)←当時、本人が特にビックリしてましたよ。笑

 

ということで、私自身、以上のような体験があったりですね。その後は、学生時代ずっと塾講師として働き、卒業後は教員になったりしまして。その経験の中で感じた、入試にまつわるちょっと不思議な事があります。

それは、

受験は神さまごとだ、ということ。私たちの意思を越えて、動く何か大きな流れがあると言う意味です。

「え?ということは?勉強をせずとも神様にお祈りすれば合格するの?」

いいえ、しません(断言)

合格をする実力が十分に備わっているにもかかわらず、試験に落ちるケースがあります。それは「能力が不十分だった」という事ではなく、「そっちの道じゃないですよ~」と軌道修正をかけられているケースがあると言う事なんです。

逆に、実力が”少々”足りないにもかかわらず、目指す方向が適切な場合には、「そうです。そっちです。」と、背中を押してもらえたりもします。これは、人生の流れ、大きな流れ、というものに乗っている状態と言えます。

私の大学受験のエピソードだけに当てはまる事ではなく、こういう事は、実は誰にでも起きているんです。

居心地がいい職場だったのに、急にお家の事情でやめなくてはいけなくなったり。もしくは、しんどいけれどがんばって続けていたのにもかかわらず、本人が体調を崩してそもそも働けなくなってしまったり。

軌道修正のかかり方は、人それぞれですが、共通している事は「そちらの道ではないですよ~」と私たちに気付かせようとしている点です。「そちらの道ではない」ということは、逆に言えば「こちらの道ですよ」も用意されているんです。

人生のタイミングなのか何なのかわかりませんが、ともかく、自分が次のフェーズに入った(もしくは入る)タイミングで、自分ではどうする事もできない流れが起きて、次のステップへ半分強制的な形で入るということは、どんな人にも起こりえます。

何かうまくいかないことがあったり、順調にいかないタイミングがあったとしても、悲観する必要がないのは、こういうケースがあるからです。あなたが最悪だと思っている状態は、「とても順調に流れをストップされている(本来行くべき方向へ向かうための)」状態という事もあるんです。

もちろん、全部が全部そうだとは言いませんけどもね。そもそも自分の”それ”に対しての学びが終わっていないので、延々としんどい状態が続いている人なんて山のようにいます。

物事がうまくいかない時、自分が成長するために(そこで何か学ぶ必要があるから)順調じゃないケースと、とても順調に大きな意思の元で(あなたが向かうのはそちらの道ではないでしょう?と言う意味で)流れがストップしているケースもあります。

こう書くと、では、どのケースが流れに乗っている状態で、どのケースが流れに乗っていない状態なのか気になりますか?

実は、あんまりそこは考える必要がないように思うんです。

人生の流れに乗っていることに意味がある訳でも、人生の流れに乗っていないことに意味がない訳でもありません。全てのものに、意味があるんです。

生きていくうえで理解しておきたい大事なことは、自分の人生は自分で歩く必要がある、という事です。

誰かの考え方や、先生の教えの通りに生きるのではなく、自分自身で考えて、体験してみて、そこから導きだす価値観の元で生きる必要があります。私たちは神様に操られている訳ではありません。自分の人生の舵は、自分自身にしか握れません。

私たちの魂が、そもそも地上に降りて来たのは、誰かの言う事を聞きたいからでも、正解の人生、成功の道を歩きたいからでもなく、生きることを楽しみたいからだと思っています。だからこそ、神様が私たち人間に干渉することはありません。私たちが自分の意思で生きていくことを邪魔することもありません。

それを理解した上で、何か事に当たる時には、自分ができる最善をしたのであれば、結果はゆだねるという肩チカラの抜き方が大切なように思っています。そうです。

「人事を尽くして天命を待つ」

辞書によると、天命とは「天の意思」と解釈されているようですけれども、私としましては、「自分の魂そのもの」なのではないかと考えています。

「自分にできることを全部したのならば、あとは、自分の魂の選択に、その結果を任せなさい。」という事だと思うと納得できるんですよね。魂としての私が、本当に望んでいる方向へ向かう限り、大きな流れによって後押しが入り、魂がのぞんでいない道へそれると、ストップがかかる。

かなー。なんて。どうだろうね。ふふふ。

ABOUT ME
JOY
大学卒業後、教員として働く。その後、オーストラリアでのワーキングホリデーを1年間たのしみ、生きることのおもしろさをとことん味わう。今まで大事にしていた価値観を、「おりゃ~!」っと、投げ捨てて、もっと自由に、おもしろく過ごすための生き方を模索中。