自分で思い込んでしまっている、「正解」の形は、今でも複数、持ってる。
今30代だから、〇〇
女性だから、〇〇
今までの人生の中で、先生が「立派な大人になるんだよ」って着せてくれたり、お母さんが「これで大丈夫だからね」って羽織らせてくれた、”鎧”がいくつもあってね。
その鎧は、重く、動きにくく、とても快適とは言えないけれども、それでも、これまでの人生で、私を何回も守ってくれた”盾”だ。感謝はしたい。守ってくれてありがとう。
鎧はとても意思がハッキリしているから、自分の進路を選んだり、生き方を考えたりするときに、いつも引っ張ってくれたね。
それに、同じようにいろんな鎧を身に着けている、同世代と話していても、そういったものは「やっぱなんだかんだ言っても必要だよね~」なんて話題になったりさ。
それで、わたしは、今になってようやっと、「自分の服を着たい」なんて思い始めてしまったんだよね。
そしたら、「え、形も自由なの?あ、生地も選ばないといけないのか。シルクって何?」レベルで迷っている。笑
考えることが、いっぱいありすぎて、困っちゃっている。今まで、真剣に考えてこなかったツケなんだろうかねぇ??
それでも、鎧の中には、戻りたくないと思ってるよ。鎧と完全にお別れした訳ではない上に、まだとても影響を受けている部分が多いのだけれど、「あ、これは鎧の破片?」って気づけるような場面は増えてきている。
だから、それでいいかなって思う。
自由に生きるというのは、考えることがいっぱいあって、大変。なのに、原っぱで寝っ転がっている爽快さがある。
今までの正解をできるだけ、捨てて行こう。
自分にとって快適なのかどうかを、拾っていこう。